「こういうことがしたい」「これが夢です」と相談を受けることが多く、だいたい「どうしたらいいでしょうか」と質問をされます。
大抵のコトには提案がでてきますので「こうしたらどうでしょうか」と言うと「できない」と言われることもしばしばあります。
僕はこの「出来ない」はとても大切な自分のシグナルだと考えていています。
出来ないでいい
まず前提として「出来ない」で問題ありません。
自分がそう感じているのであれば、それでよいと思います。
ただし、出来ないで止まってしまうと前に進まないので、以下のように考えて自分と向きあうことが大切です。
どうして「そこまでしてやりたくない」のかを考える
例えば「自分の店を持ちたい」という目的があったとして、「お店を出す予定の場所をすぐに見に行きましょう」と提案をしたとします。
その時に「すぐに見に行けない」という回答が出てきたとします。
そしたら「すぐに見に行くほど自分のお店は持ちたくない」と置き換えて「なぜなのだろう」と考えます。
「すぐに見に行かなければ、大切な友人が亡くなる」という状況であれば「何としても見に行く」となるはずです。
なので「行こうと思ったら行ける」のですが、そうならないのは「そこまでしてしたくない」から、そう言っています。
よく出てくる理由としては「お金」や「時間」があるのですが、仕事をしていればカードを活用すれば大抵のモノは今用意できますし、基本的には数百万円単位で借りれます。
時間についても「思い込み」が原因だったりします。
その理由に真っ直ぐ向きあうと解決策が出てきたりもします。
例えば「お店を出したいのは宮崎だから、1泊しないといけない」と考えていて「時間がない」と思っていたとしたら「宮崎は日帰りで行ける」というアイデアが出てきたりするので「本当に行けない理由」に向きあうことが、解決に繋がります。
または「視察にいけたとしたら、店を持ちたいのか?」という逆の質問をして、掘り下げたときに「視察に行く」のみであれば「視察に行く」ということで動けば叶います。
他にも出てくるのであれば、それをどんどんと書きためていきましょう。
全部解決すれば「やりたい」が叶うのですから、充分価値があります。
出来ないから課題を出し、やりたいのために必要なことを全部やる
僕自身は「青を仕事にする」と決めたとき「何が何でも」でしたので「青が仕事になるなら」と何でもやりました。
後々調整は必要になるにしても「本当にやりたい」のであれば、その問題を解決していけばいいと思います。
「出来ないにも向きあいたくない」場合は、おそらくその「こうしたい」は「やりたくないこと」。
それはそれで「やりたくないこと」が見つかったのでよいことだと僕は思います。
やりたくないことはやめて、本当に「やりたい」に向きあえますから。
出来ないに向きあえば「本当にやりたいこと」に近づく
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