青事師の青峰です。
青に生きる上で言葉はとても大切なもの。
そのため、言葉遣いについてお伝えする機会が増えました。
昨年何度か「自己肯定感を高める」という言葉をお聞きする機会があり「本当に自己肯定感を高めたいのかな」と思うことが多いです。
というのも本当の目的は「自己肯定感を高める」ではなく「自己肯定する」ことではないかな感じるからです。
この言葉は似ていますが意味は全然違うので、言葉の通りに現実化していくことを考えると、言葉の意味を理解した上で使う方が良いと感じ、書いてみることにしました。
自己肯定とは
自己肯定はその字の通り、自分で自分自身を肯定という意味です。
そのため「自己肯定する」と自分で自分を肯定することになります。
自己肯定感とは
自己肯定感とは自分で自分を肯定していると「感じる」という意味です。
そして自己肯定感を高めようとするのは「自分で自分を肯定している感じ」を高めようとしています。
自己肯定感を高めていった先に自己肯定はない
「感じを高める」ので、自己肯定はなされておらず、この先に自己肯定に辿り着くことはありません。
これは料理を食べたときに満足していなくても「雰囲気がよくて、特別な日で、多くの人が評価しているから」という感じで満足感を高めるのと良く似ています。
でも、本当に満足しているなら、これらの後付けは必要ないはず。
そういう意味で、満足感を高めているとしたら、本当に満足しているわけではありません。
自己肯定感も同じように感じをどれだけ高めても肯定には繋がりません。
なぜなら、自己肯定は「する」もので「感じる」ものではないからです。
自己肯定するのは至ってシンプル
では、自己肯定するのはどうしたらよいのか?
と言えば「自分の全てに青信号を出す」つまり「すべてOK」すればよいです。
出来なかったと感じていることへはとくにOKしていきましょう。
OKすることに抵抗が出てきたら向き合うポイントです。
向き合い方で大切なのは「どうやったらよかったか」ではなくて「こうだったよね」とOKすること。
その時の自分を認めるで終えてください。
対策も対応も考えなくてよいです。
「どうすればよかったか」は「しなければならない」に繋がりますし、それは自分の否定に繋がっていきますし、それは今後必要ありません。
ピンとこなかった場合は以下のページも参考にしてください。
シンプルに起きたことを認めて許すということを続けるだけで大丈夫です。
それでも自己肯定が難しい場合
自分を肯定していくなかで、肯定する言葉や視点が自分では見つけられないこともあります。
その場合も大丈夫です。
自分が認められないことを話しやすい人に話しましょう。
ただ、注意点は「自分よりも視座が高い人」と自分が思っている人にしてください。
自分自身を俯瞰して見れなければ、肯定する要素を見るのが難しい事が多々あります。
例えば、能力がすごく高くて、自分が意識していない所で、周りの人を思うように動かしているような人がいたりします。
その人が構築している世界を俯瞰できるレベルで見れる人でないと、その人に起きていることを肯定することは難しいという事もあります。
そして、本人がその能力に気づいていないことは更に多く、そこまで行くと基本的には他人の視点が必要になります。
なぜなら、その人が影響を与えてしまう範囲の人々はその人自身と同じ視点で動いているからです。
このように、自分で自分を肯定する作業は1人でやる必要はありません。
頼れる人は頼り、そのための投資は惜しまない方が後々幸せになります。
自己肯定するために
自信を持つために自己肯定感を高めて、自己肯定しようという方が居ますが、順番は逆です。
まずは自信を持つことが先。
といっても自信を持つのは簡単で「自分のことを人に言う」だけで良いです。
「自分はこういう人で、こういうことをする」を繰り返して人に言い続けます。
ただ、これは壮大なことではなくて「卵が好きだから、明日卵焼きを食べる」というような「今日明日できること」で大丈夫です。
僕は「青が好き」から始めて「青が好きで青を仕事にする」といい続け、実現したことが一番の自信になっています。
すべて繋がっていきますから、自分のイメージできる範囲から始めていきましょう。
そして、どんな些細な事だと思っていても、実現したら出来たと自分を肯定しましょう。
これが本来の自己肯定だと僕は考えています。
自分を肯定するのは今日から出来る
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