『青言葉』という役目を受け取った日

人生青色の青峰です。
これを書いている今日は僕の誕生日。
その誕生日プレゼントとして受け取った役割『青言葉』。

出会った瞬間に「やっと出会えた!」と涙がこみ上げてきて、しばらく泣いてしまいました。
僕がこれまで生きてきた理由、そしてこれからやらなければいけないことを、その言葉から感じ取ったからです。

目次

青を仕事に生きてきた日々

生まれたときから青が好きで、青を仕事に生きてきています。
ただ、それに気づいたのは大人になってから。
きっかけは2012年8月にマレーシアで起業することでした。

それまでは普通に大学まで進学し、留年したあとにサラリーマンのシステムエンジニアとして仕事をし、何処にでもいるような人。
英語も全くできない状態で、何も持たずに海外で起業したことで「強み」を見つけるために、徹底的に自分と向き合わなければならなくなりました。

「自分が日本人である」ということから、自分という人を組み立て直す毎日。
WebやITには強かったのですが、打ち出せるようなものは持っておらず、日々周りの凄い人たちを見ては「これじゃない」と自問自答を続けていました。

そして、見つかったのが「青」。
青いものに自然と囲まれ、青いものだらけの日常が当たり前過ぎて「青が好き」ということが認識できていなかった事に気づいたときに、僕の人生は転機を迎えました。

きっかけだった、2011年8月に青い財布に変えたことを書いた記事はYahoo!ニュースになり、青好きで検索1位を取ったときにはANAから記事の依頼がくるように。

その後も青をご縁に多くの人と出会い、青い場所にもいき、持ち物はもちろん青。
シンガポールにも法人を立てて活動し「青に囲まれ、青に生きる」を続けていました。

Webサイトを立ち上げたり、華僑と協力してフードコートをつくったり、メールマガジンやSNSに数千人単位で人を集めたり、セミナーをしたりと活動が多岐に渡ったこともあり「青が仕事」と言うようになっていました。

暗いトンネルに入った3年間と支え続けてくれた青

順風万端だった日々に陰りが出て数カ月たった2017年、様々なことが重なり日本へ戻らなくてはならなくなりました。

この時は精神崩壊しそうなくらい追い詰められ、心身ともにボロボロ。
5年間海外で活動していたことで、帰国しても「無収入の外国人」扱いで家も借りられない状態。
帰ってすぐにお金が必要になったので、引っ越し屋のバイトをしてつないだ時期もありました。

そんな中で家族に支えられながら、心を整えては少しずつ前に進み始めました。
青はいつも一緒、どんな時も清らかな心のままでいれたのは青のおかげだったと思います。

「青を仕事に」ということを考える余裕はなくなり、動けない日々でした。
でも、不思議なことに困りかけると青をきっかけに仕事が入り「青に生かされているな」という感覚はずっとありました。

青が僕を支えてくれている、だから昔のように「青が仕事です」と言い始めると、少しずつ仕事が増え始めました。

好きな青にフォーカスするほど、人生が好転する。
青い財布に変えたときのように「青を仕事に」へと再びフォーカスするようになりました。

本當の青を仕事にする役割

少しずつ自由を取り戻し、関わる人が増えました。
そして、関わった人たちの「夢や目的を言葉にする」ということを繰り返していきました。

2年ぶり3年ぶりに再開する人も出てきて、その繋がりで再開が続きました。
「青色セッション」と言って、その人の本質と目的を言葉にするセッションなのですが、受けた人から「あのときに貰った言葉が今でも残っていて、そのお陰で今はとても上手くいっています」という声を数え切れないほど貰いました。

「あぁ、あのときにかけた言葉が今返ってきている」と感じ、嬉しくなるとともに「青と言葉」に対する意識は高まっていきました。

そして「青を仕事に」と進めていたことで「青を守りたい」という意識が芽生えました。
きれいな「青の景色を回り続ける」というのが僕自身の夢でしたので、その場所を守らないとと考えたのです。

また「青を仕事に」というものの、日本に戻ってからは「青そのものが仕事」というものが無かったので、青いものに関わりたいとも考えていました。
そんな中、お声がけをいただいた世界環境サミットのお手伝いをして、少しでも貢献できれば・・・と考えていたときに宮古島への招待が。

「宮古島に行けば、本當の意味で青の仕事ができるかもしれない」と思ったそのイベントは、僕の誕生日にピッタリとくっついて「この後に大きく変わるよ」と言わんばかりの日程でした。

マレーシアで起業しようと思った感覚にそっくりだったので、即日行くことを決めました。(この模様は別の記事にします)


そして、そのイベントから帰ってきたのが昨日。

沢山のものを受け取りましたが、それがハッキリしないので、いつものようにノートを開いて思考開始。
テーマは「自分の役割」として、書き出し始めました。

宮古島で起きた沢山の出来事、そこで果たした自分の役割。

相手に届く言葉を紡いだから「ギフトワード」だけど、何か違う。
僕のことだから青が関係していると考えたときに『青言葉』という単語がフッと出てきて、体が大きく震えました。

出てきたときは何かわからないこの言葉でしたが「大事にしなければ」という感覚が働きます。
落ち着いて考えます。

「僕は本質を言葉にして伝えることをつづけてきた」

「本質の色は青色」

「その人の青色を引き出すために、僕は今まで、その人に必要な言葉をかけてきた」

「その人にあった言葉、だから合言葉だけど本質に合わせているから意味が少し違う」

「そう言えば、昨日Facebookで愛の波動ならぬ青の波動に目覚めたと言ったら「藍の波動」というツッコミを・・・」

「あ、だから藍言葉か・・・そして藍色は青色に含まれるから・・・」

ここで、涙が止まらなくなりました。

「あなたが今までかけてきた言葉は青に溢れている。
振り返ってみてごらん、沢山の人が笑顔になっているよね。
これまでやってきたことは間違っていない、そしてその言葉をかける役目があなたにはある。
だから、その言葉を大事にしながら進みなさい。」

そう言われた気がしたからです。

最初は勘違いかなとも思いました。
でも『青言葉』という自分が書いた文字を見るたびに涙がでてくるので「間違いない」と確信が持てたのです。

『青言葉』が起こすこと

僕の役目は「本質的な言葉『青言葉』で伝えること」
チームではいつも「翻訳者」と言われていましたが、これは「普通は言葉にできない」と言われたこともこれまで言葉にしてきたからだと気づきました。

その人が何を考えているのか、どうしたいのか、どんな人なのか
そのチームとして必要な思想は何なのか
その製品やサービスのコンセプトは何なのか

どんな内容でも一言に集約し、その人やチームやプロダクトは大きく推進する結果を生んできました。

人を言い表せば「1ヶ月で行政につながるまで飛躍」
チームの思想を言い表せば「1ヶ月で知名度の高い登壇者が20名集まる」
製品のコンセプトを言い表せば「数千万円単位の商談が6件やって6件決まる」

これが『青言葉』の持つ力です。
大きな流れを創る『青言葉』を生み出すのが、僕の役割。

いただいた役目に恥じないよう、青言師(あおごとし)として、これから活動を進めていきたいと思います。

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この記事を書いた人

青事師
青が仕事の人生青色な人

真理を伝える『青言葉』と未来を繋げる『青写真』で人や会社をあるべき姿に調整しています。

生まれたときから青に惹かれ、寄ってくる体質。
青い財布に変えたことがキッカケで英語力ゼロのまま海外移住し、その記事がYahooニュースになりました。
そして「青好き」で検索1位になりANAから仕事を受けてから「青が仕事に」なっています。

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